「映画」は映画館を出て、家に帰ってくるまでが映画です

 今月頭に『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』(以下「アイマス劇場版」に省略)を観にゆき、そして先日『スノーピアサー』を観てきて。
 アイマス劇場版を観に行った際の体験。時間を取ることの出来た平日が、あいにくの猛吹雪で。それでも吹雪の中、片道3時間車を走らせたどり着いた映画館で。
 平日に加えて外は吹雪という環境にも関わらず、ほぼ満席の中、大勢の互いに名も知らぬ、おそらく再び会うことも無い観客の皆と一緒に盛り上がりながら観賞できたことは、ずうっと記憶に残っていくだろう素晴らしい映画体験だったのだけど。

 『スノーピアサー』。作品それ自体の素晴らしさ、いや凄まじさは勿論の事。作品内容とそのまま同調するような映画館の外の環境。寒波吹き荒れる中、映画館まで高速道路をひた走り、到着した映画館の、作品上映中の館内は自分だけ。そんな環境で観て、そして映画を観た後の興奮も瞬時に凍てつくような吹雪の中、帰途についたことはアイマス劇場版に続き、強烈な映画体験になり。

 かねてより、映画館に映画を観に行くということは。作品の内容そのものの印象だけでなく、実際に映画館まで足を運び、閑散とした客席も満員の客席も含めて館内の雰囲気を堪能し、そして作品の余韻に浸りながら帰途につく。偉大なる先人の言葉を借りれば「ゆきて帰りし物語」も含めて映画の印象になる。そのように考えているので。
 どんなに自宅での観賞環境が向上し、映画館並みのものになったとしても。
 「映画」は。映画館まで足を運び、観賞し、家に帰ってくるまでを含めての「映画」だと。そう思うと、やはり映画館に足を運ぶことは止められない。

 
 蛇足として。試写会の類は映画とは似て非なるものだと思う。足代も含めてすべて自腹を切った上で観る映画は、例えどんなに駄作であっても「こんなクソ映画に、貴重な金と時間をぶっこんだ!」と、それもひとつの体験として。佳作秀作を試写会場で観た時よりもはるかに忘れられぬ映画体験になるだろうから、やはり映画は自腹を切って自分の足で映画館まで観に行くものかと。

 さらに。蛇足に爪やら鱗やらを加えるなら『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』。猛吹雪の中、観に行ったことも忘れられぬ映画体験だけど。もしも公開時期が夏から秋にかけての間だったとしたら。
 作品が夏の間の、掛け替えのない瞬間の物語を中心にしていたことも相俟って。もしもアイマス劇場版を見終わった映画館の外が、夏の空気だったらと想像すると。観た後も含めて映画館に足を運んだ人の多くに素晴らしい印象を残したのでは。そう考えると。
 上映時期にまであれこれいうのは余計以外のなにものでもないのを承知で。作品内容と、その上映時期とは決して無関係ではない。極寒の中『スノーピアサー』を観て、そんなことも思った次第。

『艦これ』をきっかけに亡き祖父へ思いを馳せる

 昨年11月10日の内容と多少重複するけれども。

 太平洋戦争当時は海軍に属していたらしく。そして「武藏」大和型戦艦二番艦であるところの戦艦武蔵に乗艦していたことが、生前一番の自慢話だった祖父がいて。
 しかし、正直に白状してしまえば。つい最近までその件については殆ど興味が無く。
 何故かと問われれば、理由は大きくふたつあり。

 ひとつに。平均的な戦後民主主義教育を受け、平均的な戦後文化人文筆家の言説に触れて成長した者が、多かれ少なかれそうであったように。「太平洋戦争前戦争中の日本の行いは、諸外国とりわけ近隣諸国の皆様に、何度平身低頭しても到底許されるものではない」「そんな戦時中の日本が行っていた忌々しい愚行を恥ずかしげもなく披露し、あまつさえ美化賞賛して語ろうとするなど、畜生にも劣る行為である」との価値観が望む望まざるに関わりなくいつのまにか自然と刷り込まれ。結果、戦争中の祖父の行いに対して積極的に関心を示すことが出来ず。

 もうひとつには、戦艦乗りだったとはいうものの生前祖父の口から「鬼畜米兵を血祭りにあげてやった」「押し寄せる敵戦艦空母巡洋艦の類をワシが狙いを定めた46サンチで見事屠ってやった」や「群がるグラマンを高角砲の掃射で木っ端微塵にした」といった武勇伝の類は何ひとつ出ることは無く。祖父の言で印象に残っているのは「武蔵に乗っていた」と「フィリピンでは本当に大変だった」「ただしフィリピンのバナナだけは、ほんとうに美味しいものだった」くらいで。
 物心つくにしたがい「本当に武蔵に乗っていたのだろうか」「海軍所属だったら、どうして海の上ではなくフィリピンの話が中心なのだろう」「本当は戦艦乗りでもなんでも無く、たまたまフィリピン方面に移動するのに戦艦に乗り合わせたのを『戦艦に乗っていた』『それどころか、あの武蔵に乗っていた』と話を大きく膨らませ脚色しているのでは」との疑念が大きくなり。
 しかし直接詳細を問いただす機会も無く、自分も進学にともない田舎を離れ、そしてそのまま祖父の訃報を聞く事になるのだけど。

 こうして祖父への疑念も含めた思いは上記の認識から変化しないまま、時間の経過にともない風化していくものかと思われた。そうなる筈だったのが。
 昨年より、一部界隈で爆発的な人気を博しているブラウザゲーム。『艦隊これくしょん -艦これ-』通称『艦これ』。内容を簡単に説明すると、太平洋戦争時の日本海軍に属していた艦艇のそれぞれを、美少女に擬人化したものを題材にしたゲームで。
 自分はいまだゲームをしたことが無いものの、友人知人の多くが『艦これ』に夢中になって。そして昨年より始めたツイッターの上でも『艦これ』の話題を頻繁に目にするようになり。そういった流れから「祖父の自慢話は武蔵に乗っていたことだったなあ」と思い出したことをつぶやいて以降、先述のように思いがけない反応があり。

 それをきっかけに、その生前には殆ど無かった戦争時の祖父への興味が急速に高まり。また武蔵に乗っていた話は事実だったのか自分なりに精査してみようと、昨年暮れから今年にかけて関連書籍等を取り寄せ読み進めてゆくにしたがい。以前までの疑念は払拭され、おそらく間違いなく祖父は武蔵の乗組員だったのだ。との思いが深まっていった。

20140210

 取り寄せた書籍の中でも、とりわけ光人社より刊行の、武蔵乗組員や関係者の証言をまとめた『戦艦武蔵-武蔵は沈まない。私はそう信じて戦った!-』が決定的といえる一冊だった。

 何故、疑念が払拭されたかというと。
 超ドレッドノート級戦艦として建造された大和型戦艦、その二番艦の武蔵は。姉妹艦の大和と同じく、排水量や搭載主砲口径、砲台の数等、列強諸国の戦艦と比較しても引けをとらないどころかそれらを凌駕するものであったが。
 であるがゆえ、消費される燃料や弾薬の量も甚大で。実際の運用を考えると建造計画当初でも危ういものだった筈なのに、それが実際に完成した戦争中期においては、もはや大和型戦艦を縦横無尽に運用するだけの兵站は日本には無く。
 結果として、乾坤一擲ここぞという局面においてのみ実戦投入する、その時ただその一点の為に備え、戦争が激化してゆく中も乗組員は実戦に出ることなく戦闘訓練に終始する、なんとも皮肉な現実があったことを知り(余談ではあるが、大和と武蔵にそれぞれつけられた「大和ホテル」「武蔵御殿」との渾名は。その装備の豪華さを例えてだけのものでなく、造りが豪華なだけで何ひとつ実戦に投入されない独活の大木への他艦乗組員からの揶揄も込められていた事を知った)。

 さらに武蔵にいたっては。最初で最後の本格的実戦投入が、そのまま負け戦。
 一矢を報いるどころか、ほぼ何も出来ないまま敵艦敵戦闘機の魚雷や弾を受け続け、乗組員約三千三百名のおよそ半数を残してフィリピン中央部の海域、シブヤン海の藻屑となり。
 そして救助された乗組員の大半は近隣のフィリピン本土に移動し。現地の部隊に編入されて、不慣れな陸上での作戦行動に翻弄されながらフィリピンで終戦を迎えたことを知り。
 これらの記述をもって。戦艦武蔵に乗っていたとはいうものの、祖父の口から勇ましい話がついぞ聞かれなかったのも、かわりにフィリピンでの話しがその内容の大半だったことにも、全て合点がいった次第。

 『艦隊これくしょん -艦これ-』を。やれ不謹慎だ太平洋戦争美化だ、英霊の辛苦を茶化すような遊戯だ軍靴の響きだ。去勢され現実世界の女性との接点を失ったオタク族をバーチャルな世界で戦争肯定へ洗脳し徴兵へと向かわせる、A級戦犯の末裔が作った現政権の恐るべき陰謀の産物だと非難する方も多いのかもしれないが。
 少なくとも自分自身においては、結果的に『艦これ』がきっかけになり、今まで確かめること深く知ることのなかった祖父の過去に思いを馳せることとなり。

 また書籍を取り寄せ精読するにつけ、疑念を抱いていた祖父への思いが自分の中で覆され。
 孫に良い顔をして格好をつけようと。いくらでも話を膨らませ大きく脚色することも、なんであれば捏造することだって出来たであろうに、ただ事実のみをぽつぽつと語っていた、その姿勢に敬意の念を抱くようになった過程は。
 殆どピースの無い何が描かれているのか判らないジグソーパズルに、徐々にピースが埋まってゆき、全てのピースが埋まることは無いものの、どのような内容であるか全体像がおぼろげに浮かび上がっていくようでもあり、非常に充実した時間を過ごすことが出来。

 偶々とはいえ、その事の起こりと結果には大変満足しています。