早いもので私自身の仕事においてもそして個人的な。主たる要因は脳梗塞から重度要介護状態になった父親と二年近く向き合い続けてきたこと。
個人においてはとても大きく重たく、しかして第三者においては通り一遍等の何処にでもあるありふれた些事小事を経験している間に、気がつけば子供も小学校を卒業し来年度からは中学生に。
そんな我が子を通して、折りに触れ反芻することがありまして。
富野由悠季。『機動戦士ガンダム』を代表作に様々なアニメーションに携わってきたトミノ監督こと富野由悠季監督の手掛けた膨大な作品群に関する資料を展示した『富野由悠季の世界』。
展覧会『富野由悠季の世界』開催時に記念イベントとして行われた公開対談。「富野由悠季×細田守 スペシャル対談 in 富山県美術館」にて対談中に富野監督が言われていた一節が強く印象に残り、事程左様に折に触れては反芻しております。
以下引用
「子育てというのは親育てでもあるということです。」
「子育てをされた方は自覚があると思いますが、今の自分がこういう仕事をしていられるのは息子や娘がいたからではないか。子供という口実があったからやっていたと言いながら、この子たちがいなかったらどうなっていただろうか。それはつまり、あなたたちが親になるために子供たちに教えられていたということです。これをおぼえておけば、死ぬまではなんとかなるんじゃないかと思えます。」
以上引用終わり
この言葉はなにも創作行為やアーティスト活動など高尚有徳な行いにのみ当てはまるわけでは無く。私自身も含めた市井の「その他大勢」の日々の営みにも十分即すると、父親の介護や家族をやしなう為の雑務に追われる中でも身に染み思いしった次第です。