時計に興味を持ち

 先月からくだくだと自分語りを垂れながしているが。
 時計。というよりも機械式時計に興味を持ち自家用に所有したのを始まりとして。キズミ、目にはさんで使用する倍率2倍から5倍程度のルーペの購入と、加えてメガネや時計に使用する精密ドライバー。さらにコジアケ、時計の裏蓋を外すための道具やらなにやら購入し。
 オーバーホールは出来ないまでも、昔から持っていたクォーツ式腕時計の裏蓋を開け電池を自前で交換したり、バンドを今までのものとは趣の異なったものに替えたりと、その程度のことで存外満足していたのだが。
 様子を見ていた奥さんが、だったら動かなくなったこの時計の電池も交換して、と腕時計を持ってきた。

 今までの自分の趣味は全く生産性がない、単なる無為徒食の穀つぶしにすぎなかったが、ここにきて多少は家人の役に立つことも出来るようになったかと彼女の時計を受け取り。道具を使い無事裏蓋を開けることに成功したものの、時計の中を見て驚いた。

 彼女の名誉のためにいっておくが、時計そのものは都市部の百貨店にいけばその正規輸入代理店があるようなちゃんとしたブランドが、自らのブランドで販売しているれっきとした腕時計で。素人目にもレクタンギュラー、長方形状の瀟洒なケースやインデックス、文字盤の数字のデザインなど、確かに名の通ったブランドの腕時計だなあ、ブランドというものはこういうものなのだなあと思わせてくれるものなのだが。裏蓋を外して中のムーブメントとその配置を見て驚いた。外側とは対照的にその内側は驚くほど簡素、率直にいえばがらんどうで。ケースの外側と内側のあまりにもあまりすぎるギャップに驚いた。
 
 ともかく本来の目的を思い出し。電池交換そのものは自前で持っていた電池と同型のものだったのと、すかすかの構造も相まってあきれ返るほど簡単に終え。電池を交換した時計を何も言わず奥さんに返し、彼女には感謝され仕事は済んだのだが。

 さて、ここで。
 以上の体験をもって、ひょっとすると人によっては。どうだそれ見たことか思い知ったかと物知り顔で。
 「砂上の楼閣を有り難がり、永遠不滅のものと妄信している明盲どもの愚かしさよ」「者共の虚偽粉飾されしブランド信仰、いや憑物を余が落として進ぜよう」と、ブランドの実名をケース内側の写真とともに大きく晒しあげ。
 諸君が気付いていない世界の真実の一端を拙が暴いてみせようぞ。我こそがメゾンを中核とするブランドマーケティングという名のゴリアテを打ち倒せしちからを有するもの也。そう法悦のきわみに浸るのかもしれないが。
 こうも思った。
 他の、実用というより宝飾品としての要素が強いブランドウォッチの多くは。例えば、いっときは一世を風靡したブルガリのトゥボガス・スネーク。たしかそのムーブメントも同種他社の時計と同じくクォーツ式だった筈だが。あのケースの中も瞬時に夢が覚めるような惨憺たる造りなのだろうか。それともブランドイメージをただの幻想で終わらせないだけの出来なのだろうか。
 腕時計を眺めながらそのように思いをめぐらす次第。

 蛇足というか、ちなみに下の写真は自前で購入した一番最初の、セイコーのクォーツ式腕時計のケースの中。さすがは精工舎というべきか、別段見て楽しいものでも見ほれるようなものでも無かったが、暗鬱たる気分にさせられるいけぞんざいなものでは無かった。

20150711

画蛇添足

20150625

 昨日の蛇足として。
 上にあげた写真の右が、くだんの懐中時計「Waltham Riverside Maximus」ウォルサムのリバーサイドマキシマ。そして左が最近購入した「Xeric Xeriscope」。

 Kickstarter。実現可能ではあるが自前での資金調達が困難な、様々なアイデアや計画に対しインターネットを通じ、アイデアに賛同する出資者を広くつのり計画を実現させるクラウドファンディングサービス。キックスターターによって誕生した、極めて現代的な成り立ちをもつアメリカの新興時計メーカー。 Xeric Watchesの腕時計「Xeric Xeriscope」。

 百年前のアメリカで作られた懐中時計と、その百年後に新しくアメリカで生まれたメーカーによる、かつての懐中時計へのオマージュを強く感じる腕時計とを並べて眺めていると。広大無辺の星空を仰ぎ見ているような、なんともいえない気持ちに浸ることも出来ます。