意外に見られている

 自分が都市部には住んでいない。他者とのコミュニケーションの、比較的密接な場所で生活しているのを前提に。人の子の親になって気がつく事に「外での自分と子供の振舞いは、他の人から意外に見られている」というものがあり。
 今日も、いつものように子供を送っていった保育所で。同じクラスのお母さんから「おもちゃの店で、何々ちゃんと楽しそうにしていましたね」と、明るい調子で子供といた事実を指摘され。

 「ええ。奥さんが用事で家を空けていた為、一日子供の面倒を見ていましたよ」と冷静に、つとめて平静を装い受け答えしつつも内心。

 「子供よりも熱心に、ドキドキ!プリキュアのグッズを物色していた様子を、まさか見られてはいるまいな」。
 「『今時の版権絵は出来が良い、良すぎて隙が無さすぎる。以前の版権物には存在したユルさが懐かしい』『否々、それは単純に拙者が歳をとった証拠でござろう。イヤハヤなんとも、小言老人には成りたく無いものですな。用心めされよ、ドゥフフ(爆)』と、プリキュアグッズを手に。独り言を大声でつぶやいている姿を見られてはいなかっただろうな」。

 そう内心冷や汗をかいていました。

 人の子の親になってからは。一層、外での立ち振る舞いに気をつけるように我が身を戒める次第。

今年作った年賀状

2013newyear

 年始に。お世話になった皆様から頂いた年賀状へのお返しとして、わずかながら、それでも精一杯の気持ちを込め。自作の年賀状を作り続けていまして。

 しかし結婚後は、なかなか思うように時間が作れず。元旦に届くようにどころか、一月を超え二月も半ばを過ぎた頃にようやく完成する、どうにも愍然な状態が続いていたのに加え。
 子供が出来てからは、それまでに輪をかけて思うように時間を作れなくなり。この年賀状にいたっては、一年も半ばを過ぎた頃、夏の気配も感じられる頃に、ようやっと完成する。もう、いったい何の為の年賀状なのか、作っている自分も訳が判らなくなって。

 しかし。しかしながら来年こそは。来年以降からこそは。
 一昨年から今年の前半が、半生において最も儘ならない状態だった。多忙なりの時間の捻出にも慣れてきた、育児にも慣れてきたこれからは、多少なりとも楽観的解決を期待できるのでは。

 そう思っています。思いたい。

 とかいって。来年の年賀状を、年賀状そのものの目的に則した状態にするには、今から作り始めなければいけないか。