現在所有のカメラ。OM-D E-M1 Mark II用の交換レンズ。
写真手前からフォクトレンダー「NOKTON 10.5mm F0.95」
オリンパスの「M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO」
カメラを挟んで同じくオリンパスの「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO」
そして「M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO」。
後は、この写真を撮るのに使った、いまや奥さんのものとなったPENに付けっぱなしのパンケーキレンズ「M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8」。
以前までは、それ以外にも数本か交換レンズを持っていたもの、OM-D E-M1 Mark IIと300mm F4.0購入を契機にレンズを整理し、上の4本だけに集約。
趣味のひとつと名乗ってもさしつかえない程度にカメラを使ってきたのは自覚しているが、どうやら自分自身レンズを多数蒐集し保管庫に入れておくような、レンズそのものを愛でる嗜癖は持ち合わせていないよう。
レンズはカメラ本体に装着し振り回してなんぼだと思っているので、M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PROを手に入れたのを機会に35mm判換算で21mmから600mmまでまかなえる、身の丈にあったレンズ4本のみを残し、重複する画角のものは処分。
これでひとまずレンズ沼からの脱出と相成りました。
とはいえ、今はこのように綺麗事を並べ立ててはいるが、数ヶ月もすれば性懲りもなくあのレンズが、この単焦点がと譫言のようにつぶやく写真本来そのものの意味を失い物欲所有欲に突き動かされる。マニアにありがちなスペックや価格希少性こそがマウントの取り合いを制するただひとつの手段であり、普及モデルやスペックに劣るものを攻撃冷笑しひと時の万能感愉悦に饗すただひとつの方法である。
そんな感情の使奴となった、サロンやインターネットの場末によく見る依存症患者や廃人、形而上的死者のごとき顛末をむかえているのも想像に容易いので。
「レンズ沼からの脱出」と勇ましい表題をつけたもの、断定形ではなく語尾に疑問符を含むものとして。数ヶ月後または一年後にこの項目を見返し、自身上に述べたことを履行しているか、単なる艶二郎の不実空言と終わっているか。確かめてみようと思います。