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アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!

 ある程度は仕事の状況も落ち着き、なんとか暇も作れるようになったので、子供の行きたいところへ連れて行ってあげたい。
 要望を聞くと、映画を観に行きたいとのこと。お目当ての作品が近郊の劇場で上映されているか、調べてみると。子供がリクエストした作品そのものの内容、いや形式に自分そのものも俄然興味がわき。
 事前に手持ちのスマートフォンに該当するアプリ。アプリケーションソフトウェアをダウンロード、インストールした上で子供と一緒に。
 『アイカツ!』。元々は架空のアイドルたちを題材にした女児向けのゲームと、ゲームの設定や登場するアイドルを基にテレビアニメ化した同タイトルの劇場用アニメ作品。
 映画『アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!』を観に行った。

 この映画作品の何に興味がわいたかというと、その上映形式。
 3D形式で上映される本編と、本編に連動するかたちでスマートフォンを。事前に本作品のために開発されたアプリケーションをスマートフォンにインストールすることで。劇中での展開に応じ端末に劇中内容を補足する情報が表示されたり、今作の最も大きな見せ場であろう立体視での演出がなされたアイドルたちのライブに連動して、スマートフォンが様々な色で明滅することで。最近の軽音楽やアイドルのライブ会場では当たり前のように見られるようになった風景。ライブ会場の観客が手に手にケミカルライトやスティックライトで客席側からもライブを盛り上げる風景を、情報端末を利用して映画館において疑似的に再現しようというもの。

 実際に子供と一緒に入った満場の映画館内で、客席の半分以上を占める女児全てが3Dメガネを装着し。上映時間中、手に持ったスマートフォンを振り回しながら終始欣喜雀躍する異様な光景を目の当たりにした時は。
 「スクリーンを注視するでもなく、女児たちが奇声をあげ場内を走り回っている」「しかも映画館側も客席の大人たちも、これを注意するでも制止させるでもない」「これは果たして映画なのか、映画といえるものなのか」「否否、そもそも原初の映画興行が。リュミエール兄弟の名を挙げるまでも無く、駅のプラットホームに機関車が到着する、ただそれだけの情景を映写しただけであったにも関わらず、本物の機関車が飛び出してきたと恐れおののいた観客が一斉に客席から逃げ出した。この逸話こそ映画の本質を雄弁に物語っている」「自分の目の前に広がっている光景。これこそがまさしく『映画』なのだ」。

 そんな思いが上映時間のあいだ、頭の中をぐるぐる回り続けていて。

 脚本の瑕疵なんて些末な問題など超越した階層で、面白い面白くないといった事まで取るに足りない問題と感じられるような次元において。
 映画館まで足を運んだ意味があったかなかったかと問われれば、意味がなかったどころか間違いなく、今までの映画館体験の中でも最上位に入るであろう強烈な経験を得ることができました。

20151108

『この空の花 -長岡花火物語 (DVDプレミアBOX版) 』

 『この空の花 -長岡花火物語 (DVDプレミアBOX版) 』を購入。さっそく鑑賞。

 映画本編の素晴らしさ凄まじさに関しては今さら。ましてや自分が何も語る事はないものの(自分ごときの言葉では今作の圧倒的な内容を、ただただ矮小化させるだけだと)。
 プレミアBOXに収録されている、6時間近く353分に及ぶメイキング映像。いやメイキングそのものが今作『この空の花 -長岡花火物語 』の。
 消え去りつつある戦争の記憶や震災、花火や原子爆弾等々それぞれには関連の無い、雑多な偶然の集まりにおもえた要素が。とある舞台劇の上演に向かって結集してゆくまでを描いた今作の、姉妹編として確固たるひとつの作品になっている。そう評して全く過言にあたらないと感じたのだが、とにかくメイキング映像。

 メイキング映像終盤の光景。76歳を迎えた大林宣彦本人が、広島県尾道の仕事場においてパーソナルコンピューターを前に今作の編集作業をしている姿を捉えた映像に。プロアマ有名無名問わず、作り手の端くれを自認しているのであれば。これを見て何も感じない者などいないのではないか。

 映画監督大林宣彦というと。独特の編集、カットとカットのテンポや、それが作り物であることを全く隠そうとしない俳優の演技や台詞回し、画面構成や特殊効果など。本人自身のキャラクターも含めて、とかく「変だ」「型にとらわれない」「個性的」等々「奇矯」といった言葉で片付けられがちだが。
 映画監督以前に、作り手として何が凄いか、いまだ評価され続けているかというと。根っこの本質の部分で、夥しく強固で洪大な、熱く燃えたぎる物作りへの情熱「なにかを伝えたい」「言葉ではうまく表すことの出来ないなにがしかの想いを形にしたい」の感情をいまだ有し続けているから、まずそれが大前提としてあってこその評価で。上にあげた奇矯さなど、あくまでも枝葉に過ぎないものなのだと。

 『この空の花 -長岡花火物語』のメイキングを観て、改めて強く思った次第。

 以下蛇足として。

 『この空の花 -長岡花火物語』。「反戦」が大きな主題になっているのは一目瞭然なのだけど。
 反戦や恒久平和、あるいは反原発や差別の無い世界への希求等、真っ当で真面目な主張を作品に込めて訴えるのであれば。今作くらいのものでないと。
 作品に込めた主張以上に、まず作品として受け取り手の心を動かすものでないと。
 もちろん反戦や反原発といった主張それ自体を否定するつもりは微塵もない。大変意識の高い、素晴らしいものには違いないが。

 個人的経験を挟むと。過去に知人から勧められて、あるいは自発的に上記の主題を掲げた映画を数本観たものの。それらを馬鹿にするつもりも批判するつもりも毛頭ないので具体的な作品名は挙げないが。
 それらはどれも、作品そのものの面白さよりも前に、作り手の高い志が前に出すぎているように感じ。
 意地のわるい言い方をすると「より良い世界の実現を目指し、こんな崇高なメッセージを作品に込められる私たち!そんな私たちがこれほどまでにも啓蒙活動を行っているというのに、どうして貴方には理解できないの?どうして行動しようとしないの?」との作り手の意識ばかりが、スクリーンの前に乗り出しすぎているように感じ。
 それでは自分も含めた多くの愚民はのっていけない。意識の高い作り手の思惑とは裏腹に、大衆との距離はひらいてゆくばかりかと。

 ほんとうに何かを伝えたい。自己の主張を多くの人に理解してもらいたいと思いなにがしかを作るのであれば『この空の花 -長岡花火物語』並に。まず作品それそのものが人の心を動かすものでないと。なかなか難しいと感じた。