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『風立ちぬ』を観て「それは空に消え、二度と捉えることは出来ない」

 『風立ちぬ』。宮崎駿の監督最新作にして、同氏の長編最終作といわれているアニメーション作品『風立ちぬ』を鑑賞してきた。

 まずは煙草。いや、煙草の煙描写について。
 あちこちで話題になっている、全編にわたって頻出する喫煙描写について抗議している団体が存在するそうだが。読解力と想像力が小さじ一杯程度さえあれば、今作における煙草。いや煙草の煙を含めた様々な煙描写は。雲とニアイコールで飛行機と対を成す、作品における大きな主題であることくらい直ぐ理解できる筈。

 今作において、飛行機は。そして雲と蒸気機関車や煙草の煙は。共に、現れたと思うまもなく空へと消え去る天空の眷属として。さらに良い夢と悪しき夢の、どちらにも成りうる「矛盾」の象徴。
 劇中において繰り返し「美しい夢」との言葉が出てくるが、その美しい夢は善悪どちらに属しているのかは、何も言及されず。美しさというものは人を善き方向にも導くし、その美しさにより多くの人をも殺す矛盾を常に内包している。そう理解したのだが。

 つまりは飛行機も煙草も。一方では誰かにとっての天啓の源にもなり、もう一方では誰かの死をもたらす矛盾。
 仕事と家庭、夢と現実、本当に作りたかったものと実際に出来上がったものとの矛盾等、様々な矛盾を象徴するものとして。劇中において、時には美しく、時には恐ろしく、多彩な形や色合いを見せる雲の描写とあわせて表現されているのは誰の目にも明らかであり。

 さらに言葉を重ねれば、今作における喫煙描写で、多くの鑑賞者が不快感を示したといわれる。今作の主人公二郎が、病床の妻菜穂子の隣で喫煙する場面。
 それが、いわゆる正しさ。それを観た皆が納得する正しい在り方ではない事くらい、当の作り手は百も承知だと充分理解できる。一見して理解できるくらいに、あえて。あの場面においては。結核をわずらい余命幾ばくも無い妻の隣で、二郎は、あえて。劇中の喫煙描写の中でも、ひときわ深く大きく煙草を吸い、そして大きな煙を吐き出す。
 今作を観た人の多くが息を呑むであろう、あの場面におけるあの描写こそが、今作において「矛盾」というものを最も雄弁に表現しているのは明らかで(しかし、あの場面に不快感を示す人がいて、ついには抗議行動まで起こさせたというのは。作り手の意図が大勢に、しっかりと伝わった結果といえるかもしれない。今回の抗議騒動を受け、作り手は内心、してやったりとほくそ笑みを浮かべているのかもしれない)。

 そう考えれば、今作における煙草という存在は。所謂正しさや公共性等を越えたところで、ひとつの作品として。今作を描くにおいてそれが不可欠である事くらい、直ぐに判りそうなものなのに。
 想像力が根本から欠如しているとしか思えない方々の組織する団体が。社会正義とやらを振りかざし。誰かの作った何がしかの作品に。それが社会に出す価値のあるものか社会から葬りさるべきものなのかどうか。世間の代弁者のような顔で、選別し断罪しようとする姿勢には背筋が寒くなる。

 自分は愛煙家でも喫煙家でも無い、どちらかといえば煙草はあまり好きではない部類だが。それでも『風立ちぬ』を観てしまえば、この程度の事は言いたくなる。

 以上。ツイッターにつぶやいたものをまとめてみたが、以下追記として。

 『風立ちぬ』を観た人達の中で、いわゆる作り手。プロアマ関係なく、ゲーム業界やアニメ業界に従事していたり、または文章を書いたり絵を描いたりしている人達の多くが。今作を映画館で観て、理屈抜きで良かった。理由は判らないが泣けてきた。との感想を述べ。
 それどころか「あの映画はオレの映画だ」と言い切る人までいて。だけどその気持ち。理屈抜きで納得できる。

 ジャンルを問わず。日本の表現行為に携わる作り手達のピラミッドの頂点。雲の上の存在が、作り手の本質を。
 「所謂正義や社会通念、道徳や大衆性なんて。つまるところどうだってよいのだ。そんなものより自らの内なるイメージと衝動こそを優先させるべきなのだ」との主張を掲げている作品なのだから。
 そりゃあ、作り手を自認する連中が。こんなものをくらって、なにも感じない筈がない。

ヤマト2199のサントラを聴いて、会社によるマスタリングの違いを知る

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 日本コロムビアから発売された『MV SERIES(ミュージックビデオ シリーズ)宇宙戦艦ヤマト2199』を購入。
 簡単に説明すると、地上波では先日ついに大団円を迎えたアニメーション作品『宇宙戦艦ヤマト2199』。1974年にテレビ放送された『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク作品『宇宙戦艦ヤマト2199』の劇伴音楽と劇中映像とを、ミュージック・クリップ風に編集した映像作品で。
 同作の劇伴音楽集は、既にCDで購入し所有しているものの。何故、改めてこのようなものを購入したかというと。

 先だってランティスから発売された劇伴音楽集『宇宙戦艦ヤマト2199 オリジナルサウンドトラック Part.1』を購入し、聴いて。いささかの落胆と違和感を覚えた身としては。
 『MV SERIES(ミュージックビデオ シリーズ)宇宙戦艦ヤマト2199』(以下『MV SERIES』と省略)とのタイトルを冠した企画が発表されたのを知り。そして、その発売元が日本コロムビアである事を知り。ひょっとして、違和感を基に自分が抱いた憶測が証明され、またCDに感じた落胆も解消されるのでは、との思いから同作を購入し。
 そして、憶測は正しかった。

 端的に述べると。ランティスから発売されたものと、日本コロムビアから発売されたものとでは、マスタリング。音楽が製品として完成する手前。CDやDVD、アナログレコード等に記録される前の、最終的な音の調整作業。マスタリングが明確に異なり。
 ランティス版のマスタリングは、多くのファンを落胆させた出来になっていたものの。今回発売された『MV SERIES』でのマスタリングは、ランティス版に失望したファンの感情をかなり救済させる出来映えに仕上がっていた。

 具体的に、音情報を可視化したものを提示すれば一目瞭然だと思うので、参考までに。

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 拡大してみた。

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 二列並んでいるうち、上の青色のものは日本コロムビアから発売された『MV SERIES』のトラック7。

 下の赤色のものはランティスから発売された『宇宙戦艦ヤマト2199 オリジナルサウンドトラック Part.1』の17曲目「地球を飛び立つヤマト」。それぞれ同一楽曲の同じ箇所を抜き出してみた。

 一応補足しておくと。CDとブルーレイ・ディスクとでは、そもそもの媒体が違うのだから、それらを比較するのは無意味では、との疑問をもたれる方もいるかもしれないが。
 たとえ、媒体の違いにより音情報の圧縮方法等が異なっていても。規格として定められた領域の中に、破綻無くそして最大限に元情報の美点を活かしつつ、情報を入れ込んでゆくマスタリングという作業において。同じ楽曲を同じ方向性でマスタリングしたもの同士であれば、可視化された音情報の見た目そのものは大きく変化しない。

 しかしながら、両者のマスタリングは、明確に異なる。

 何故こうなっているのか、自分の推測を差し挟むと。ランティスのものは今時のマスタリング。正確にはポップスやロックにおけるマスタリングの、少し前の定石であった。デスクトップ上で、それ用のプラグイン、PC上で個別の命令を実行する為の部品のようなもの。を使用し、元々の音情報の特定の領域を増幅させる。結果、出来上がったものは第一印象の迫力が強調されるマスタリングを施しており。
 殆どの音がデスクトップ上で、ミックスダウンに至るまでPC上で完結している昨今の流行音楽ならば、これで問題ないのだが。ことクラシック音楽。
 管楽器や弦楽器、打楽器等様々な楽器。それらの大半は、アンプスピーカーを介さず本体そのものから音を発振する構造の楽器群を編成し、基本的には生演奏でそれらを奏でる音楽においては、上記のマスタリングはあまり有効とは言えず。
 ひょっとしたらランティス内には、クラシック音楽の音作りに精通したエンジニアがいなかったのか。それとも、今作のレコーディングディレクターには明確な音作りの展望と方針があり。結果として、あえてこのような音作りになったのか。

 ともかく、クラシック音楽の楽器編成。小さなものではピッコロから大きなものではコントラバスやティンパニ等。打楽器や管楽器弦楽器等、音の出る仕組みの異なり、楽器自体の大小もそれぞれ異なる物同士が、一斉にそれぞれの箇所を演奏する事で成立している音楽を記録するにあたっては。
 それぞれの楽器としての特性や大小が。実際に演奏会場へ足を運ばずとも、CDやアナログレコード等を聴く事により理解できるマスタリング。
 一聴した際の迫力は犠牲にする、その引き換えに。小さく繊細な楽器の奏でる音色はそのように、演奏会場の奥まった場所にある楽器の音色はそのように。それぞれがありのままあるように聴こえるようにミックスダウン、マスタリングが施される。
 いわゆるダイナミックレンジの活かされた音作り、それが好ましいと一般的には言われ。
 しかしながらランティス版では。小さな管楽器も大きな打楽器も、まるで同じ大きさで同じ距離から奏でられているように感じ。多くのファンは、いささかの落胆と違和感を覚えたと思う。自分もそうだった。

 だが、先だって日本コロムビアから発売された『MV SERIES』。
 まずはパッケージ裏に大きくマスタリングエンジニアの名前が表記されていることからも、おおいに期待を抱かせるものになっていて。そして実際に視聴すると。期待通り、ダイナミックレンジの活かされた音に仕立て直されてあり。ランティス版に失望した感情をかなり救済してくれる出来栄えだった。

 流石は歴史と伝統の日本コロムビア。伝統というものは決して箔づけのこけおどしではない。アナログレコードの時代から、多くのクラシック音楽の名盤を発売し続けた、その技術と経験の蓄積は『MV SERIES』に確実に活かされていた。
 おそらくマスタリングにあたっては、ランティス版の。既にマスタリングの施された音源を基情報として、そこに再びマスタリングを施すという、けっして上手いやり方とはいえない、骨の折れる面倒な作業であっただろうに。しかしそんなことはエンジニアにとっては百も承知で、決して腐らずやっつけ仕事で済ませる事なく。これこそプロフェッショナルの仕事、と称するに相応しいものを提供してくれた日本コロムビアに敬意を払う意味でも。

 そして、そんな面倒くさいことは抜きにしても。
 ランティスから発売されたヤマト2199の劇伴音楽集に少なからず失望を覚えた方にとっては、購入して損はさせない出来に仕上がっているかと。