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デタラメなりのそれらしさ

 いつのまにかカメラが趣味だと。臆面なく名乗れる程度にカメラへと。いやカメラというよりレンズ、所謂レンズ沼に嵌り。そして嵌ってみると、この泥沼。存外心地よいことも知り。
 そして、あれやこれやをレンズを変えつつ撮影し、部屋に戻って撮った風景を眺めているうち。
 カメラよりも遥か前より下手の横好きとして続けていたお絵かきへと。

 単に撮影したものを漫然と見ているだけでなく、お絵かきの方になにがしか活用できないかと助平根性がむくむくと頭をもたげ。
 写真からお絵かきへの活用として大半の方が同じことを発想するであろう、お絵かきの背景に。
 自分で撮影した風景を、そのままお絵かきの背景に移せば自身の意図するものに。しかも写真をそのままなぞらえれば簡単かつ効果的なものが出来るのでは。
 安易な発想のもと撮影したものを、そのまま描こうとする絵の中に写し替えようと試した矢先。しょせんそのような安直なやり方、下手の横好きの下手の浅知恵に相違ないこと明確に実感する。

 所謂スーパーリアリズム。そこまでゆかずとも具象、劇画調の絵を描くのなら判るが。
 有り体にいえば下手くそな、写実主義に則れば全く正しくない突っ込みどころだらけのデタラメな絵を、写真の背景の上にただ乗せてみたところで。
 とはいえ、イマドキの画像編集ソフトには元画像の輪郭を抽出強調したり画像の階調を減色単純化する等の機能も豊富に搭載され、それらを使えば写真をそれらしい背景画像へと変換することも可能ではあるが。いくらそれらの機能をいくども重ねたとて、根本的な問題は何ひとつ改善されない、どころか病巣をより際立たせる結果に。
 下手ともまた異なる、見た人の多くに得も言われぬ違和感や気味の悪さを抱かせるだけのものにしかならない。もっともその生理的嫌悪感を意図している「判った上であえてやっている。見るものの意識や感情をコントロールしている。観客を手のひらの上に乗せてやっている」のなら話は違うが。

 考証や方法論、現実主義に則れば悪目しかないデタラメなものにせよ、デタラメの中においてはそちらよりもこちらの方が違和感を抱かない、抱かせないため。デタラメなりのそれらしさがあるのを。
 おそらく間違いなく。お絵描きに限らず、映像映画製作、あるいは小説等の文筆活動を含め広義における創作に携わっておられる方の殆どにおかれては。言葉にせずとも、メソッド化しなくとも経験を通じて理解熟知し実践している言わずもがなのことなのでしょうが。
 こんなこともカメラを趣味にするようになって判ったことでした。

 ちなみに下のものが実際の作業に使うパソコンの画面を画像に保存したもの。画像の中の右が、いただいた年賀状の返信用の絵の、背景の参考にと自前で撮った写真。そして左が写真を参考にして実際に作った絵の背景。

20160613

 但し、そうはいっても。くどくどと戯れ言を重ねても、目にとめられた方の大半は「御託は結構だが、どんな言い訳をしても下手は下手。それ以上でも以下でもないのでは」との尤もな偶感を抱かれるでしょうが。

 下手は下手なりに。トライアンドエラーを積み重ねながら今に至っているのです。

本年も宜しくお願いします

 2016年も折り返し点を過ぎた今頃になって「本年も宜しくお願いします」なんてどうにかしているのは重々承知の上、弁疏という体のエクスキューズをさせていただきますと。

 一昨年までは遅れ遅れになりながらも、個人的にいただいた年賀状への返信を日々の雑事となんとか折り合いをつけながら作り続けてきたのが。この場を借りて何度か申し開いたように一昨年末から昨年にかけてはそれすらも出来ない状況に陥り。
 幸いなことに危機的な時局からは脱することが出来、さて来年、いや今年いただいた年賀状への、公のものではない私的なものへの返信だけは、せめてもの気持ちを込め取り掛かろうと思った矢先。
 まだ無憂無風とはいえない仕事のことやら家族のことやら。自分とは勤務先も内容も全く異なる職に従事している奥さんの、年度末における彼女の担当が例年以上に多忙だったようで。
 いつもは家人がこなす内々ごとのそれなりの部分を引き受けながら、自身の業務に関する瑣事にその時々で対応しながら。

 さあひと息ついた。今度こそ取り掛かろうと取り掛かり。気がつけば今日の今日になっていた次第。

 あいも変わらずこんな調子で。さりとてささやかな業余に見切りをつけ、家庭と仕事に専心する潔さも気格もいまだ克ち得ることが出来ず、猶猶徒爾の下僕として日々の営みに汲々としていますが。
 本年も宜しくお願いします。

20160611