作成者別アーカイブ: コーセー

2014年末から15年中旬に関する書付け

 こうしてようやくなにごとかを書き付けられる程度の状態に戻ったのがすこし前のこと。

 あまり「忙しい」だの「大変だ」だの言葉を使うのはどうかと思うが。
 というのも、世間的に多少なりとも影響力をもった人物や、不特定多数の依頼者から仕事を請けている事業主ならば「公に向けた活動を減らします」「これ以上は依頼しないでください」との含みを持たせた上で「大変だ」と明示するのかもしれないが。そうでもないどこの馬の骨ともわからないものが、誰に向けたわけでもない電子空間の荒ら屋で「大変だ」といったとて一体何の意味があるのか。自己憐憫なのか、それとも特定の誰かに向けた示威行為なのか。
 そのような印象をずうっと持ち続けているので、大変だの忙しいだの言葉は出来るだけ使わないように心がけてきたつもりだったが。

 さすがに、昨年後半から今にいたるまでは大変だったという言葉を使わざるをえない。

 このサイトを作った頃からさらに数年前。子供が生まれる前後にも大変な時期があって、しかしその直後にはさすがにこのくらい慌しい時期はもう当分の間訪れることはないだろう。今後多少は私的なことにも時間をさけるようになるだろう。そう推考したからこそ気晴らしや息抜きの要素が強い個人的なサイト。今ここにあるこのサイトを作ったりもしたのだけど。
 まさしく凡人の推考するが如きの言葉通り。それから5年足らずのうちに、子育ての大変さとは全く方向の異なった大変な、忙しい状況に放り込まれるとは残念ながら予想しておらず。今の今まで、たまにツイッターにつぶやく程度で更新作業はおろか本当になにも出来ない状態が続いていた次第。

 とはいえ、どうにか困難な状況を脱し。剣ヶ峰もこうにか越えることが出来。
 もう本当の本当に気力も体力も、社会人としての器の中身も全てさらいつくし「これだけやった、これだけやりきったのだから、あとはなにがどうなってもいっさい悔いはない」「やれるだけのことは全てやりきったのだから、なんの心残りもない」その程度は胸を張っていえるような状態も経験し、また乗りきることが出来たので、まあそれはそれで意義のある時間だったのではないかと。

 さりとて、これから先の人生。心身ともに折り返し地点を過ぎた後の人生において、今回のような状況に見舞われたと考えると。間違いなく気力か体力のどちらか、あるいはその両方がへし折れ死に至ることは容易に想像できるので、もう御免こうむる。願い下げにしてもらいたい。

 と。ひさしぶりの個人的なサイトの更新作業とはいえ、遅れてブログデビューしたオッサンの無恥厚顔な独りよがりを垂れ流す自慰部屋にせよ、とりとめの無さが過ぎるところまできているので今晩はいいかげんキリをつけますが。
 このサイトの最後の更新日から今日までのあいだ。小さなことから大きなことまで。極個人的なことからそうでないことまで、本当に色々なことがあったので。
 今からしばらくの間は、その中からサイトの内容に即していそうなことを断続的に記していこうと思います。

七五三のお参りに

20141120

 子供の初めての七五三参りに行ってきた。

 「そんなカビの生えた未開人の風習なんてファック!そもそも子供だって、それどころか親の方だって意味も目的も判らず、ただ惰性でやっているだけの形骸化された習慣、いつまでも引きずったままだから日本はいつまで経っても後進国のままなんだ!そんな無学文盲の未開人どもが権力や権威の言うがまま踊らされるがままでいるから政治は変わらないんだ!この国はいつまでたっても世界の笑いものなんだ」。
 そう考える進歩的な方々も入らせらるかもしれないが。

 ふりかえれば、自らの思想信条を固持し子供にも強制す。その立ち振る舞いこそ自身が子供の頃には嫌だと感じていた。「自分はこんな大人にはなりたくない」と思っていた筈の振る舞いだったのではないか。
 そしていつしか子供が大きくなり、大人と同じ視点でものを見、対等にものを言える立場になった時に。
 「なにテメーの都合でなんでもかんでも勝手に決めたり無かったことにしてるんだよ!」「子供にとって大人は絶対的な存在であると、子供を意のままに出来ると、子は親の意思を全て受容すべきだと手前のエゴを押し付けて、それが当然なのである。それが摂理なのである。そんな御高説をたたく気高いご立派な大人なんだな。テメーは!」「子供は親の言う事を聞くものだなんて御託をいうんだったら。そんなに精良秀抜な大人だったら、口先だけでなく行動でも示してきたんだろうな!」「子供たちに美田は残さなくとも、本人の努力次第で努力に見合ったものが得られる。そんな見通しの明るい世界を、廉直な思想と大人らしい実行力でもって、胸を張って誇れる未来をテメーは作れてきたんだろうな!」。

 と、ぐうの音も出ない言葉でもって憎まれ口を叩かれないように。せめて昔から脈々と続いている慣習、かつて自分自身が親から施してもらった。あるいは出来ることなら親にしてほしかったことなど至極真っ当なことを。
 出来るだけ子供にしてあげたいと思う。