祖父が遺した一枚の写真

 二十年前に他界した祖父。
 一番印象に残っている話が「武藏」。大和型戦艦二番艦であるところの武蔵に乗ったこともあったらしい祖父。
 戦艦乗りだった事が名誉だったのか、いまでも実家にはこんな写真が飾ってあり。

20131110

 何の気なく、本当に軽い気持ちでツイッター上に載せたところ。全く予想もつかない反応が返ってきて。
 物心つく前からずうっと家に飾ってあったので。これが当然のものと、自分の感じかたが麻痺していただけで。改めてまっさらな気持ちで、この写真を眺めてみると。
 確かに、そのくらいのインパクトがある写真だったなあ。改めて気づかされ。

 と、同時に。祖父の享年から考え、おそらくは1930年頃。この写真が撮られた当時と、そのころの祖父に思いをはせると。

 その当時、これくらい巨大な建造物(それだけでなく各箇所が可動し、建造物ごと移動する!)なんて、そう存在する訳が無く。扶桑や武蔵を実際目の当たりにし。しかも、そんな代物に乗艦する気持ちを今現在の感覚に置き換えると「何このモビルスーツ!ビグ・ザムっていうモビルアーマーなの!?凄えー!しかもビグ・ザムの運用に携われるの!?やったー!!」といった興奮に近いものだったのでは。
 さらに当然のように情報統制が行われ、諸外国の軍事レベルなど極々一部しか知らなかっただろう当時の日本。くわえて士官でもない、しがない一兵卒だった祖父が。列強諸国は日本以上の戦艦や航空母艦を大量に製造していた現実など知る由もなく。

 「こんな物凄い超兵器を建造できる我が国が、負ける訳など無い!これで絶対勝てる!」当時の人達の心情は。多かれ少なかれ、このようなものだったのでは。
 祖父が残した写真を何気にツイッター上に載せたのがきっかけで、そのような事を思った次第。

 付記として。

 上の写真をツイッター上に載せた時には。恥ずかしながら、祖父からは具体的にどんな艦艇を乗り継いだのかを聞く事なく、加えて当時の艦艇についての知識も乏しいまま、ただ何の気なく載せたのだけど。
 この写真の艦艇は、扶桑型戦艦一番艦の「扶桑」では、との言を頂き。
 結果。ネット上に載せたことで、家族も知らなかった有益な情報を知る事となり。世間様、とりわけマスメディアは。やれ匿名性の弊害だ悪の温床だと、とかくネガティブな印象を植えつけようとするインターネットだけど。
 ネットにも良い面は確かにある。貴重な情報を知ることが出来た感謝の気持ちと共に、そのような事を思いました。