iPad Pro礼賛

 何度も申し開いてきたよう、昔と比べ自身のキャパシティにおける「公」の部分が日に日に大きくなり、悪徳管財人やブラック企業の人事担当まがいの圧力で「私」を追い詰め締めあげ続ける現状において。
 そんな状況においても個人的な業余の部分は継続していけないものか。一縷の望みを抱き購入したのがApple PencilとiPad Pro。

 結果は期待をはるか超え、アップル教信者や林檎紅衛兵など揶揄されるアップル製品原理主義者に自分も改宗した、そう友人知人に皮肉をいわれても一向に構わない。そのくらいのものがiPad ProとApple Pencilには確かにありました。
 隙間なく敷き詰められた日常の中で綻ぶ塵芥のような時間を活用し、電子スクリーン上にお絵かきすることが出来る。実際の紙の上に鉛筆やスケッチペンを使って描く行為と寸分たがわぬ、とまではいかないもの、それを補ってあまりある電子ならではの利点も確かに。
 買ってよかった。

 仕事や家庭、家事育児。はては地域や親族間のしがらみなどに個人のパーソナルな趣味ごとなど、いともたやすく押し流される中。それでもモチベーションだけは揺らめく燭台の灯火の如くかろうじて残されていると信じる数年前のわたしのような方に向けても。

 確かあった筈のモチベーションが疲弊と経年劣化から、いつのまにか自身も気づかぬうちに変質し、諦念と幾何かの後悔が混じった澱のようなものだけがこびりついていた。
 ありがちの結果を迎えるその前に、騙されたと思って購入するだけの価値はApple PencilとiPad Proにはあるかと。