日別アーカイブ: 2020年5月1日

亡き祖父の軍歴を調べて

以前より頭の片隅にずうっと、ある程度まとまった時間が出来たときにはと。
火急的速やかに処理すべき性質のものでは無いが、いつか必ず手を付けようと数年前より決めていた案件を。

わたくし自身の家業に関して昨今の状況を鑑みて廃業するでも休業するでもないが、ずうっと以前より事業をある程度整理し多少なりとも自分自身のわたくしごとを。気がつけば小学校生活も折り返し地点を過ぎた子供にもう少しだけ目を向けられるよう、なにより今までずうっと二の次三の次にし続けてきた個人的なパーソナルの部分をこれまでより僅かでも大切に、自愛してゆきたい。

思い続けて続けてきたのに加え、ここ数年来ミッドエイジクライシスの訪れを実感するようになりより強くなってきた気持ちにけじめをつけよう、そしてわたくし自身の家業を少しだけ整理しようと具体的に着手しはじめたのが前前年度のこと。
ようやく前年度いっぱいをもって家業の整理に目処がつき、とはいえ時局にかこつけ廃業するでも休業するでもないが自身の背負うものを減らし。

年度のはじまりでもあった4月より遂にまとまった時間が出来、弥弥くだんの案件に手を付けようと。
7年前のこの中でも述べたことのある亡き祖父の過去。

https://kose2013.com/

「祖父が遺した一枚の写真」

生前には詳しい話を伺うこと無く、また祖父自身から美談や武勇伝として語られることなど無かった軍歴について精査してみた。

ここまで書いて「祖父の口から語られなかったということは、本人にとっては知られたくない話であるくらい想像力を働かせれば判るであろう。其の様な事を興味本位でほじくり出すのは亡き家族への冒涜、墓暴きにも等しい」。そのように思われるかたもいるかもしれません。
こちらも一時はそのように考えたもの、わたくし自身年を重ね中年の危機をはっきりと自覚するようになったあたりから心境が少し変わり。

「たとえ当事者にとって不本意であろうと。縁者以外なら問題はあるかもしれない。だがどこぞの馬の骨では無い血のつながった子孫が祖先の歴史を知りたいとの気持ちは、ともすれば故人の意向にまさるのでは。何故なら自身の子供あるいは孫が同じようなことをしないとは限らないし、仮にそうなったとてわたくし自身子孫を責められないだろう」と。

こうして亡き祖父の軍歴照会に着手したのです。
具体的方法は、厚生労働省社会・援護局援護・業務課調査資料室へと。対象が旧陸軍に所属していたなら資料第一班。海軍ならば資料第二班に。
情報請求をするわたくし自身と遺族との関係を証明する書類、今回は祖父と其の嫡子である父親、そして自身との続柄がわかる戸籍謄本。目的などを記した個人情報開示申請書をそえて其向へと送付し。
必要書類が適切なものであればだいたい一ヶ月くらいで資料の写しが手元に送られてくる。

とはいえ、とりわけ昨今は省庁にも優先順位があるだろうからこのような瑣末事に率先して取り掛かれる訳も無いだろう。気長に構えていたにもかかわらず、一ヶ月弱ほどで祖父が旧海軍に所属していた際の三枚にわたる記録が手元に届いた。

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以下がその記録。

但し、個人情報に関わるものは隠してあります。そして、以前に祖父の軍歴に関わる写真をネット上に公開したところ無断転用された事があったので、野暮天重重承知でウォーターマークをいれております。

孫として注目したのは以下の三点。

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まず一枚目の最初。
「扶桑」。扶桑型戦艦一番艦の扶桑にどうやら乗艦していたらしい、というのは以前に写真と一緒に記していたのだが。
扶桑に乗っていたのは間違いの無い事実で。さらには扶桑乗艦以前に「日向」。伊勢型戦艦二番艦の日向へ乗艦していたことも、わたくしを含む家族の誰も知らなかった事実として知ることが出来た。

軍歴の中程にあたる二枚目は大半が家庭の事情。
一旦の召集解除から、これに関してはわたくし自身も知っていた家督に関する私事と再召集。マラリア感染による入院などが記されているので割愛させていただく。

後半にあたる三枚目。一番の注目点として予想もしなかった情報が記されていた。

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1943年(昭和18年)より海軍砲術学校、館山砲術学校に入校し。
くわえて海軍陸戦隊。かつて日本海軍の中にあった陸上戦闘部隊へと、そして「32特根」こと第32特別根拠地隊に其の身をおき、上等兵曹を最終階級として終戦を迎え、生きて再び祖国の地を踏んでいる事実を知った。

「第32特別根拠地隊」

第32特別根拠地隊に関するウィキペディアの記述を丸呑みするならば。そして軍歴と照らし合わせ、祖父が上等兵曹へと昇進したのが1945年(昭和20年)5月1日付であることから。

「ミンダナオ島防衛戦」

以上のように、第32特別根拠地隊のダバオ地区部隊にて下士官としてミンダナオ島防衛戦にあたったと推察される。

とはいえ何故に当初は軍艦に乗っていたにも関わらず、陸上戦闘部隊へと転任したのか今となっては祖父の胸中を知る由も無く。
猶猶。祖父が生前わたしに語った数少ない言葉の中で最も関心が持たれた「武蔵に乗った」ことについて、結局その真偽の証明は得られなかった。
実家には上載の写真とともに、一番艦大和と二番艦武蔵が居並ぶ写真が飾ってあるにも関わらず、だ。

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蛇足ではあるが写真の人物は朝倉豊次。生前の祖父の言から推測するに、武蔵第3代艦長の朝倉豊次海軍少将と思われる。

いずれにせよ、ながらも確認できたことや思いもよらなかった事実など。実際中央官庁へ開示申請依頼を行わなければ永劫忘却の彼方に葬りさられたであろう情報を得られたのは。
今回わたくしのとった行動。良かったか悪かったか、して後悔したかそうでないかの是非を問われれば。

確乎として「是」でありました。