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Diggin’ In The Kawaii

2020newyear

 毎年の賀状は「おおやけ」に向けてのものとは別に「わたくし」個人の趣味的なものを、大学時代からの友人やネットを通じて知り合った同好のかたに向けて作っていまして。

 毎年なににしようか考える題材について。当初は我が子の昨年の夏休みのあいだ付き合って見ているうち好きになり、子供が買った原作単行本を横で読むくらいになった『鬼滅の刃』。
 鬼滅の刃の作中人物を当初は考えていたのですが、昨秋に他界した吾妻ひでお。
 いまや「萌え絵」という汎称をして一般化されたイラストにおける一大先覚者への自分なりの敬意をこめて鬼滅の刃にかえ作ってみました。ですので背景と着物の柄にその名残があります。

 わたくし個人に関しては世代的に直接の影響は無いもの、それでも好みの絵柄を掘ってゆくと。
 好ましく感じるイラストの、影響を受けたであろう大元をたどってゆくとだいたいはそこに行き着く。音楽に例えればイエロー・マジック・オーケストラやクラフトワークのような存在です。

 ちなみに自分なりに吾妻ひでおの絵をかいてみましたが、特定のキャラクターやイラストを模写したわけではなく。一番好ましく感じる1980年代前後の絵柄を意識しながら、書道における「臨書」をおこなう体でつくってみたものです。

絵葉書にみる旧制高等学校生徒の日常

 斯様に電子通信及び関連技術が発達する以前、郵便は人の営みにとって現在のインターネットと同じくらい重要なインフラストラクチャアでありコミュニケイションであったそうで。尚且つ単なる通信の手段にとどまらず文化の容子としても多彩な様態をしめしていたことが絵葉書ひとつとっても。

 写真やイラストにより当時の風俗を写しとった多種多様な絵面を見るに。令和の世も間近にせまり平成昭和も過ぎ来し感の中、其より彼方とおく明治後期から大正にかけて絵葉書というメディアが大衆文化として広く浸透していたのがよくわかる。

 それらの中より私いち個人が予てから関心をよせていたのが旧制高校。旧制高等学校。
 ざっくりいえば現在の中学校から高校にあたる教育機関なのだが。寮生活、生徒皆寄宿制を学生生活の本拠と採用していたりなにより帝国大学。現在の東京大学京都大学など国立の最高学府に入学するにあたって入り口としての意味合いと認知が強く。当時の文献から引用すれば「学歴貴族への登竜門」であったらしい旧制高等学校の生徒たちが、彼等の属する学生寮自治や倶楽部活動の活動費捻出のため拵えていた絵葉書。

 絵葉書の内容は学内でのイベントを題材にしたものもあるが、多くは旧制高等学校で学問にいそしむ朋輩生活の場。学生寮を描いたものを屡屡目に、とりわけ際立ってうつしみえるのが。
 復復当時の文献から引用すれば「籠城主義」。旧制高等学校の学生寮を語る際頻出する「校外一歩皆敵」の精神と「籠城主義」。その単語が象徴するよう寮生活をおくる彼等にとっては自らがその身をおく学生寮こそが単なる起居の拠点を越え、そこだけで完結した壺中天であり世界を駆ける壮士たれの自負心強い破帽連の梁山泊でもあったのだろう。絵葉書を眺めるだけでそのようにも類推できる。

 ともあれしかし、旧制高等学校の絵葉書をことさらとりあげたのは此を引き合いに懐古趣味や由無き英雄主義を開陳したいわけではなく。
 絵葉書の中に往往見られる目を疑いたくなるとある行為について。

 「ストーム」。真夜中に突如大勢で鍋を打ち鳴らし学生寮歌、有名旧制高校の学生寮には概ね籠城主義を讃える専用の歌が作られていた、を斉唱しながら寮内を徘徊し新入生の部屋に押し入って無理やり酒を飲ませたり学生生活の心構えについて説教を述べる行為と並び。

 学生寮の上界から下界に向け放尿を執り行う様。当時の寮生活においては「寮雨」の名がつけられ。
 「蛮カラ」。明治期急速に普及し「ハイカラ」と称された西洋風の身なりや生活様式を進んで取り入れる進歩主義者への雄々しいアンチテエゼとして周知されていたスタイル。
 蛮カラさの表白としてさしたるプロテストもおこされず、どころか学歴貴族ではあるが畳の上の水練に終始するブッキッシュな末成り瓢箪にあらず、武士の魂も継承した勤倹尚武豪放磊落快男児烈丈夫の益荒男振りとして寮雨も周知どころか好意的にさえ受け取られていたことが当時の文献を読むにひしひし伝わってきたのだが。

 階上からの放尿など現代世界を生きる我々においてはにわか信じがたい、誰もが眉をひそめるだろう行動を当時の我国最高学府を目指す能才俊士たちが何の疑問も感じず日常的に行い。どころかその行為を能動的に絵葉書というメディアに残し、あまつさえ経済活動の一環としていた当時の学生たちの常識に。
 今でこそ「悪目立ち」や「炎上」なんて言葉とともに社会良識を逸脱した行為をインターネット上に投稿する若者を取り上げては、その品質劣化をことさら取り上げてみせるマスコミや識者は星の数ほどあるもの。

 こんなものを見てしまえば。百年以上前も今も時代性も学力水準の高低も関係無く、此の国の若者の立ち居振る舞いにさして違いは無いことをはっきりと認識させられる。
 勿論それが良いとか悪いとかではなく只そうなのだと。