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『捜索者(The Searchers)』

 映画『捜索者(The Searchers)』。

 ジョン・フォードがメガホンをとりジョン・ウェインが主役を演じた南北戦争終了から3年後西暦1868年のアメリカ西部地方を舞台にした1956年公開の劇場映画作品。
 そもそもことの起こりは、今年初めにRDR2『レッド・デッド・リデンプション2(Red Dead Redemption 2)』を。
 アメリカ合衆国の西部地方開拓時代当時、フロンティアと呼ばれたアメリカ未開拓地を舞台にした物語、通称西部劇。を題材にした家庭用ゲーム『レッド・デッド・リデンプション2』を終えてからもずうっとこのゲームの事が心に残り続け。

 劇伴音楽集を購入したり同作が作られるにあたって参考にされた作品など。明朗快活な勧善懲悪の物語に収まらない西部劇を巡ってゆくうち、フロンティアの時代とその終わり。そしてその後のアメリカと幾許かの同国製コンテンツに通奏低音として綿綿刻まれている「居場所を失った、消えゆく男たちの物語」を了得し。
 さらに自分なり掘っていった末たどり着いた映画が『捜索者』。

 DVD版を。ブルーレイ版をと最初は考えていたが日本語吹き替えに対応した国内流通版はDVDしか無いことを知り、注文したDVD版が先日届いたもので取り急ぎ鑑賞したのだが結果予想を上回るものだった。

 今作に関する評釈をざっと掻い摘むと、公開当初は興行成績も評論家からの反応も。曰く「お話が暗すぎる」「ジョン・フォードとジョン・ウェインには偉大なるピルグリム・ファーザーズの精神を否定するようなものを撮ってほしくない」等散散だったもの、やがて時代ととも評価は覆され現在ではフランス『カイエ・デュ・シネマ(Les Cahiers du cinéma)』誌の「史上最高の映画100本」第9位に選ばれ、本国アメリカ映画協会でも「最も偉大な西部劇映画第1位」に選出されたと。

 また批評家筋ばかりでなく同業者からも。
 『タクシードライバー』の脚本を手掛けたポール・シュレーダーは『捜索者』から強い影響を受け、ロバート・デ・ニーロ演ずる主人公トラヴィスの人物像を造形し。後に同作を翻案し現代アメリカを舞台に換えたかたちの『ハードコアの夜』を自ら監督している。またデヴィッド・リーンは同作の、まだ開拓時代の面影が残されていた大西部の光景をフィルムに写し取った風景描写に強い感銘をうけ『アラビアのロレンス』を制作するにあたり、何度も『捜索者』を鑑賞し風景撮影の参考にした。
 等等同作の西部劇というジャンルに収まらない映画としての先駆性普遍性を称える逸話には事欠かないのだが。

 他者の評価や反応などはどうだっていい。とどのつまりはわたくし個人がどう感じ思ったかだ。
 シネフィル未満の映画好きがぼんやりと想起する類型的な西部劇。物語のクライマックス、絶体絶命の危機的状況に騎馬隊が駆けつけ事態を解決するわかりやすいハッピーエンドでも無ければ。現代劇に特有の、あえて露悪要素を殊更丹念に描写する「観客の心の奥深くまでけして消え去る事なき爪痕を刻んでやろう」と、作り手の前のめりな自意識が鼻につく陰惨苛酷さとははっきり違ったある種の暗さと後を引く苦さ、だがけして不快でない苦さがここ数年あたりの心情と重なり混じり合ってすうっと入っていった。

 とはいえ2020年も間近に迫った今の目でみれば60年以上前に作られた劇場映画。マカロニ・ウェスタンの台頭やサム・ペキンパーの登場を待つのは当分先となる頃に作られた、所謂西部劇というジャンル映画の文法を大きく逸脱してはいない作劇は、ひどく牧歌的でいささか冗長にすら感じられるのも客観では理解できる。
 例えば劇中の幕間にあたる箇所。ジョン・フォード演じる主人公と彼に反発しながら捜索の旅を共にするジェフリー・ハンターの旅の途中の一幕。ネイティブ・アメリカン相手に取引をしながら情報を得る描写など、再映画化を仮定したならば真っ先に省略される部分かもしれない。だが、マックス・スタイナーの手掛けた詩情溢るる劇伴音楽と相まって忘れられぬ一場面になっている。
 あるいはもしも仮にタランティーノが製作を務め、イーライ・ロスが『捜索者』のリメイクを手掛けたとするならばモダンな手触りかつ括弧付きでの「良くまとまった」作品へとリノベーションされるかもしれないが、それは求めていたものとはかけ離れてしまうのでは。あくまで愚考でしかない私的な感情にすぎないが。

 ともあれこの作品に対しシンパシーのような曰く言い難い心の動きを得たのも、そして製作直後本国での拒否的反応と反比例するように高まっていった評価も、つまりはその後幾度も舞台を変えプロットを変えて語られ続けてゆくこととなる「居場所を失った、消えゆく男の物語」をフィルムに焼き付けた最初期の映画だったからではと。
 だからこそ公開当時アメリカにおいては、薄薄わかってはいたが明示化されてほしくはなかったからこその拒否反応であり、わたくし個人においてはミッドエイジクライシスをはっきり自覚しはじめた年齢に鑑賞したからこその深い感受であったと。

絵葉書にみる旧制高等学校生徒の日常

 斯様に電子通信及び関連技術が発達する以前、郵便は人の営みにとって現在のインターネットと同じくらい重要なインフラストラクチャアでありコミュニケイションであったそうで。尚且つ単なる通信の手段にとどまらず文化の容子としても多彩な様態をしめしていたことが絵葉書ひとつとっても。

 写真やイラストにより当時の風俗を写しとった多種多様な絵面を見るに。令和の世も間近にせまり平成昭和も過ぎ来し感の中、其より彼方とおく明治後期から大正にかけて絵葉書というメディアが大衆文化として広く浸透していたのがよくわかる。

 それらの中より私いち個人が予てから関心をよせていたのが旧制高校。旧制高等学校。
 ざっくりいえば現在の中学校から高校にあたる教育機関なのだが。寮生活、生徒皆寄宿制を学生生活の本拠と採用していたりなにより帝国大学。現在の東京大学京都大学など国立の最高学府に入学するにあたって入り口としての意味合いと認知が強く。当時の文献から引用すれば「学歴貴族への登竜門」であったらしい旧制高等学校の生徒たちが、彼等の属する学生寮自治や倶楽部活動の活動費捻出のため拵えていた絵葉書。

 絵葉書の内容は学内でのイベントを題材にしたものもあるが、多くは旧制高等学校で学問にいそしむ朋輩生活の場。学生寮を描いたものを屡屡目に、とりわけ際立ってうつしみえるのが。
 復復当時の文献から引用すれば「籠城主義」。旧制高等学校の学生寮を語る際頻出する「校外一歩皆敵」の精神と「籠城主義」。その単語が象徴するよう寮生活をおくる彼等にとっては自らがその身をおく学生寮こそが単なる起居の拠点を越え、そこだけで完結した壺中天であり世界を駆ける壮士たれの自負心強い破帽連の梁山泊でもあったのだろう。絵葉書を眺めるだけでそのようにも類推できる。

 ともあれしかし、旧制高等学校の絵葉書をことさらとりあげたのは此を引き合いに懐古趣味や由無き英雄主義を開陳したいわけではなく。
 絵葉書の中に往往見られる目を疑いたくなるとある行為について。

 「ストーム」。真夜中に突如大勢で鍋を打ち鳴らし学生寮歌、有名旧制高校の学生寮には概ね籠城主義を讃える専用の歌が作られていた、を斉唱しながら寮内を徘徊し新入生の部屋に押し入って無理やり酒を飲ませたり学生生活の心構えについて説教を述べる行為と並び。

 学生寮の上界から下界に向け放尿を執り行う様。当時の寮生活においては「寮雨」の名がつけられ。
 「蛮カラ」。明治期急速に普及し「ハイカラ」と称された西洋風の身なりや生活様式を進んで取り入れる進歩主義者への雄々しいアンチテエゼとして周知されていたスタイル。
 蛮カラさの表白としてさしたるプロテストもおこされず、どころか学歴貴族ではあるが畳の上の水練に終始するブッキッシュな末成り瓢箪にあらず、武士の魂も継承した勤倹尚武豪放磊落快男児烈丈夫の益荒男振りとして寮雨も周知どころか好意的にさえ受け取られていたことが当時の文献を読むにひしひし伝わってきたのだが。

 階上からの放尿など現代世界を生きる我々においてはにわか信じがたい、誰もが眉をひそめるだろう行動を当時の我国最高学府を目指す能才俊士たちが何の疑問も感じず日常的に行い。どころかその行為を能動的に絵葉書というメディアに残し、あまつさえ経済活動の一環としていた当時の学生たちの常識に。
 今でこそ「悪目立ち」や「炎上」なんて言葉とともに社会良識を逸脱した行為をインターネット上に投稿する若者を取り上げては、その品質劣化をことさら取り上げてみせるマスコミや識者は星の数ほどあるもの。

 こんなものを見てしまえば。百年以上前も今も時代性も学力水準の高低も関係無く、此の国の若者の立ち居振る舞いにさして違いは無いことをはっきりと認識させられる。
 勿論それが良いとか悪いとかではなく只そうなのだと。