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何故年賀状にこだわるか

 こうして6月も半ばを差し掛かる頃になって、ようやく今年の初めにいただいた年賀状の返事を投函したのだけど。
 「こんな時期になって、そんな間の抜けたものを送りつけて、貰った方が逆に困惑するのを想像したことはないのか」「できあいのものだろうが事務的であろうが、返信も含めて直ぐに送れるようにしたほうが本当の“礼節”というものではないのか」など至極真っ当な言葉も聞こえるもの。
 もちろん公。おおやけに向けての年賀状はそれそのものの用途通り機能するよういつも用意しているのだけど、こと私。個人的にいただいた年賀状への返事だけは。

 歳を経るにつれ、人には公としての部分と私としての部分が。「公」を「地位」や「肩書」「看板」に置き換えてもよいが、自分の中を占める公としての部分が日ごと月ごとに大きく重くなっていくのを身を持って感じ。
 そして、なにがしかが切っ掛けになり我が身を占める公の部分が取り払われた時に初めて。公以外、私としての個人的なアイデンティティなど無きに等しいちっぽけな存在であることを。

 「全国誌の紙面にも屡々その名が取り上げられる企業の管理職についていた時は、盆暮れ正月なにかにつけ公私含めた様々な所から、自前では到底処理しきれない贈り物を貰い続けていたのが、定年退社した途端どこからもなにも送られてこなくなった」。
 「会社で働いていた頃は行った先来る人に、独立しませんか、いいえこちらにきませんか、フリーになったら仕事をいっぱい回しますよ、そうおだてられその気になって会社を辞めたら、今まで鬱陶しく感じるくらい声をかけてきた人達がぱったり姿を見せなくなり、たまに顔をあわせても社交辞令口調の曖昧な返事しかくれなくなった」。
 「オレ個人で看板をしょって、羽振りが良かった時にはイイ顔をして寄ってきた大勢の連中が、上手くいかなくなった途端オレのまわりに居つかなくなり、どころかオマエのあの時ああだった、だからオマエは失敗したのだ、オマエはあの時からああいう部分が欠点だった、なんて面と向かって悪態までついてくる、だったら調子が良かった頃にその言葉を寄こせ」。

 等など実経験からの金言を聞くにつれ、おおやけ以外のわたくしの意味をひしひしと感じるようになり。
 だからこそ、とはいえ大したものでもなんでもないおおやけの立場すら除外してみれば。何の取柄も無い冴えないキモオタオッサンの自分に対しても時節の挨拶を下さるような方に対しては、わたくしの部分で精いっぱい誠心誠意なにがしかレスポンスを。

 そう思って、どんなに遅くなっても個人的な年賀状だけは手製のものにしているのです。

OM-D E-M1+NOKTON 10.5mm F0.95

 昨夜いっていたように、写真を撮りに出かけてきた際に試してみた、OM-D E-M1の動画機能を使用して撮影したものを以下に。

 E-M1にNOKTON 10.5mm F0.95をつけて撮影した、このレンズならではの雰囲気を極力損ないたくないので。最初と最後以外には動画に一切なんの処理もしておりません。

 さて。いつもの年末年始の事を考えると、これから数ヶ月のあいだツイッターでつぶやく程度しか出来なくなるのは必至なれども。このような内容が今年最後の更新になるのは、来年以降の事も考えると結構悪くない気がする。

 来年も日常に忙殺されることなく、このサイトを作った元来の趣意である「個人的な気晴らし」を忘れないようにしたいものです。