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画蛇添足

20150625

 昨日の蛇足として。
 上にあげた写真の右が、くだんの懐中時計「Waltham Riverside Maximus」ウォルサムのリバーサイドマキシマ。そして左が最近購入した「Xeric Xeriscope」。

 Kickstarter。実現可能ではあるが自前での資金調達が困難な、様々なアイデアや計画に対しインターネットを通じ、アイデアに賛同する出資者を広くつのり計画を実現させるクラウドファンディングサービス。キックスターターによって誕生した、極めて現代的な成り立ちをもつアメリカの新興時計メーカー。 Xeric Watchesの腕時計「Xeric Xeriscope」。

 百年前のアメリカで作られた懐中時計と、その百年後に新しくアメリカで生まれたメーカーによる、かつての懐中時計へのオマージュを強く感じる腕時計とを並べて眺めていると。広大無辺の星空を仰ぎ見ているような、なんともいえない気持ちに浸ることも出来ます。

アンティーク懐中時計というひとつの帰結点

 昨晩記したように昨年後半から今月にいたるまでは、誇張や比喩でなく多忙な状況が。一区切りついたと思った矢先に全く異なる案件が。それも一段落つく見通しがたったと思う矢先、以前の案件に起因する大きな問題が降りかかり、そんな状況が日増しに。
 峰を登ったと思ったらまた目の前に大きな山が立ちふさがり、山を越えてはくだり越えてはくだりを繰り返していくうちに、山脈のどの辺りに自分はいるのか、どこをどのようにしたら山を下りることができるのか、段々と判らなくなってゆき、しまいには気力も体力も底をつき行倒れてしまうのでは。
 漠然とした不安どころではない、危機的状況に。もうヘリコプターを呼ぶなりして、リタイアを認めてしまったほうが、家族のことを考えても遥かに賢明な決断なのでは。
 後半はそんな思いが常に頭をよぎる有様だったのだけど。

 そのような状況にあって、家庭と仕事以外で自分になにがあったか、なにが自分を支えてくれたかというと、まず第一にそんな中でも家族が大病なく元気でいたことと、そして時計。
 今になって振り返れば、精神的にかなりの危険水域にあったのだと客観視できるのだけど。そんな中、とくに渦中にあっては時計だけが。
 ここに記したように、昨年になってから機械式時計に興味を持ち自家用に購入し。
 しかしてその数ヶ月後には、くどくど前述したような状況が待っていたのだから、ひょっとしたら腕時計を購入したあの時点でその後の我が身に降りかかる局勢は決定づけられていたのでは、そんなオカルトじみた妄想さえしてしまうほど。
 そんな中にあっては時計だけが、その場で大声をあげて逃げ出したくなる衝動を抑えてくれた。

 誇張抜きで食事もとれない状況の続くさなか、ふと出来た数分の余裕のあいだ、つけている時計のバンドを外し所謂シースルーバック。中の機械が見えるようクリスタルガラスやサファイヤガラスで作られた透明の裏蓋ごしにテンプやガンギ車、アンクルが規則正しく高速で動いている様子をじいっと眺めていると、何故か心が不思議と落ち着く。多少なりとも平静を取り戻すことができる。
 傍から見れば気がふれているとしか思えない。しかし、その頃の自分にしてみれば唯一にして最大の精神安定の拠り所が機械式時計だったのだが。

 しばらくするうちに、いちいちつけている時計のバンドを外して機械機構、以下「ムーブメント」に省略、を見る動作はいささか要領が悪いように感じ。
 またムーブメントに興味を持つうち。ムーブメントそのものこそを機械式時計に求めるのであれば、アンティークウォッチとよばれる物件。時計製造業界において、デジタルどころかクォーツ式も発明される以前の。時計塔や柱時計の、そのムーブメントを小型化して携帯できるように改良された。工業製品と工芸品の境界が曖昧であった時代につくられた携帯時計。アンティーク懐中時計こそが。
 自分にとっては尤もな存在なのでは、と。

 それからは、仕事が終わって帰宅してからは、主にインターネットを利用して。アンティーク懐中時計についての知見を少しずつ深め。

 ここで「アンティークについて何がしかの知識を得ようとするのであれば、やはりアナログメディアを選択し、また実際に足を動かすべきなのでは?骨董品について知るのにデジタルメディアに頼るなど冠履転倒なのでは?」と首をかしげる方もいらっしゃるかもしれないが、知見を深めるにつけ判ったのは。腕時計ならばまだしも、年代物の懐中時計なんて代物は欧米諸国はともかく我が国内ではあまり需要も愛好家もいない、まして地方在住者にとってはインターネットを使用し、かろうじて情報を得ることができる程度の極めて限定的な趣味であったという事。
 おそらく腕時計であれば、腕につけ常にひけらかすヒエラルキー誇示の為のアイテムとして有用であるが、懐中の名のとおり普段は懐にしのばせておくものなど、サル山でのマウントの取り合いにはさして向いていない。これが国内ではそれほど語られることのない理由のひとつなのでは。今ではそのように推考するのだが。

 あだしごとはさておき。アンティーク懐中時計についての知見を少しずつ深めたのち、極めて数は少ないもののアンティーク懐中時計を扱っている店舗のサイトを定期的に見ては出物がないか探し待ち。
 そしてついに入手した次第。

 長々語ったものの、とはいえ腕時計が好き、あるいは腕時計について一家言もった方からすれば「サブマリーナーの、冷間圧延を幾度となく繰り返して完成されるオイスターケースの、あの重厚さに比べれば」あるいは「カラトラバの、冷間鍛造で形成されたのち職人の手作業によって面を整えられたケースの、あの精緻さに比べれば」と一笑に付される程度の下手物趣味なのだろうが。
 百年前に作られたものとは思えないその金属の輝き。また実際に手におさめると思いのほか小ぶりな造りの、畏怖や威圧とは程遠い可愛げといい。
 なにより、時を刻み続ける機械機構そのものが人類の英知の象徴だった時代のものだからなのだろう、ムーブメントそれ自体に美しい装飾の施されたケースの内側といい。
 個人的な時計趣味の帰結点としてけっこう満足しています。

20150624

 蛇足として、時計と比べて語られることも多い自動車に引き寄せておもうと。

 いまや内燃機関とモーターの組み合わせによるハイブリットのみならず。内燃機関を搭載しない自動車も現実のものとして、茶の間においても税金免除やランニングコストなどオルタナティヴを越えプラグマティックな選択肢として購入検討の対象になり、どころかとうの以前から都市部においては自家用の自動車なんてものは全く実生活にそぐわない、文字通りの泥車瓦狗に成り下がった昨今。
 しかしながら内燃機関式自動車。自動車においては主にシリンダー内で燃料を燃焼させピストンを運動させる力を自動車を動かす力に用いるレシプロエンジンをそなえた自動車は、どんなに非内燃機関の自動車が普及したとしても絶滅することは無い。
 実用品から、一部の好事家の為だけの趣向品へとその界層を変えたとて、内燃機関式の自動車がこの世から駆逐されることはない。
 腕時計の歴史と現在を鑑みるに、この程度ははっきりと断言できるのだが。

 加えて、いささかの私見を重ねれば。それが30年後か50年後かまでは計りかねるが。いまでは自動車のボンネットの内側は、エンジン本体はもちろんインテークマニホールド等もカバーで覆われ、高級車ほどエンジンルームは何も見えないようになっているが。いつか内燃機関式の自動車が実用とは対極の趣向品になったそのあかつきには。
 現在とは装いを大きく変え、近未来の内燃機関式自動車のエンジンルームは、ある意味先祖帰りのように。現代の機械式腕時計が、高級品であればあるほどそのムーブメントを極力露出させるべくデザインも含めてケースが仕立てられ、ムーブメントの仕組みそのものをエンターテインメントの装置とする出来になっているのと同じく。
 近未来においては趣向的要素の強い内燃機関式自動車ほど、シリンダーの数や直列V型並列等の配置形状、付随するインテークマニホールドの取り回しの見事さ等も含めて観賞に値するものと、メカニズムそのものをエンターテインメントとして積極的に見せるようなつくりになるのでは。

 時計のムーブメントを眺めながら夢想に耽る。