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奥さんの買い物

 自分語りばかりつらつらと書きつらね。
 まあこのサイト自体。自己顕示と森羅万象への小言に終始しつつ、ひとまわり以上歳の離れた女子にあわよくば擦り寄ろうとする下心を抑えきれない、年甲斐もなくSNSデビューしたオッサンのページと何ひとつ変わらないものにせよ。
 たまには家人の話なども。

 先月から時計購入の話ばかりして、まるで自分だけが意味のない浪費ばかりしている。御内儀とは収支を別にして手前だけが物欲のおもむくまま放蕩にかまけているようにとられかねないが。
 まったくそんなことはなく。
 自分は自分でオタクが陥りがちな、自己消化できる許容範囲を明らかに越え購入の為の購入をただただ積み重ねる、そんな緩慢な自殺にも似た消費行動を止め、抑揚ある購買を心がけ。それは単純に、子供が生まれたので沢山のものを死蔵しておく余裕が無くなった。自分の趣味の為の空間を縮小せざるを得なくなった、そんな現実的な要因も大なのだが。

 さて彼女は彼女で昨年末に、コンベクションオーブンを購入し。
 結婚時に用意したオーブンレンジがあるのに、どうしてまた似たようなものを買うのか。その思いが最初に頭をよぎったものの「そのような事を言うのはどの口でありますか」の一言で何も返せなくなるなあと自省しつつ。
 しかるに彼女がコンベクションオーブンを購入して空焼きを済ませたのち、最初はどうということもないものをと。そこいらの量販スーパーで恒常的なセール商品の対象になっているような、ごくごくありふれた冷凍ピザを焼いてみたところ。
 完全なる別物は大袈裟かもしれないが、確実に今までのものとは味が違っていたので驚いた。

20150725

 おそらくはコンベクションオーブン。convection(熱・大気の)対流、の名の通りオーブン内にあるファンで対流を作り庫内の熱を均等なものにする働きと。
 それ以上に、付属していたピザストーンの働きによるものであったのだろうが、とにかくオーブンレンジで作っていたものと比べ出来上がりの食感そのものも、さっくりふわふわと明らかに美味しくなっていたのに驚いた。

 道具にかんしては半可通、いや半可通の入り口に立とうとしているものほど「能書は筆を択ばず」や「下手の道具調べ」の言葉に、その意味以上言葉に拘泥し道具選びを冷笑軽視しがちかもしれないが。
 いやいや、則天去私光風霽月に達する真のマエストロを目指すのならばともかく、ただ普段の営みを少しばかり気の利いたものにしたいだけの俗物にとっては、道具の持つ意味は存外大きいものだと。
 当たり前のことを出来上がったピザをほおばりながら、そう再認識した次第。

 ちなみに奥さんは、彼女自身の買い物がよほど気に入ったのか。それより一ヶ月余の間は、新しいオーブンで作られたアヒージョが、ほぼ毎日食卓にあがるようになったのでした。

時計に興味を持ち

 先月からくだくだと自分語りを垂れながしているが。
 時計。というよりも機械式時計に興味を持ち自家用に所有したのを始まりとして。キズミ、目にはさんで使用する倍率2倍から5倍程度のルーペの購入と、加えてメガネや時計に使用する精密ドライバー。さらにコジアケ、時計の裏蓋を外すための道具やらなにやら購入し。
 オーバーホールは出来ないまでも、昔から持っていたクォーツ式腕時計の裏蓋を開け電池を自前で交換したり、バンドを今までのものとは趣の異なったものに替えたりと、その程度のことで存外満足していたのだが。
 様子を見ていた奥さんが、だったら動かなくなったこの時計の電池も交換して、と腕時計を持ってきた。

 今までの自分の趣味は全く生産性がない、単なる無為徒食の穀つぶしにすぎなかったが、ここにきて多少は家人の役に立つことも出来るようになったかと彼女の時計を受け取り。道具を使い無事裏蓋を開けることに成功したものの、時計の中を見て驚いた。

 彼女の名誉のためにいっておくが、時計そのものは都市部の百貨店にいけばその正規輸入代理店があるようなちゃんとしたブランドが、自らのブランドで販売しているれっきとした腕時計で。素人目にもレクタンギュラー、長方形状の瀟洒なケースやインデックス、文字盤の数字のデザインなど、確かに名の通ったブランドの腕時計だなあ、ブランドというものはこういうものなのだなあと思わせてくれるものなのだが。裏蓋を外して中のムーブメントとその配置を見て驚いた。外側とは対照的にその内側は驚くほど簡素、率直にいえばがらんどうで。ケースの外側と内側のあまりにもあまりすぎるギャップに驚いた。
 
 ともかく本来の目的を思い出し。電池交換そのものは自前で持っていた電池と同型のものだったのと、すかすかの構造も相まってあきれ返るほど簡単に終え。電池を交換した時計を何も言わず奥さんに返し、彼女には感謝され仕事は済んだのだが。

 さて、ここで。
 以上の体験をもって、ひょっとすると人によっては。どうだそれ見たことか思い知ったかと物知り顔で。
 「砂上の楼閣を有り難がり、永遠不滅のものと妄信している明盲どもの愚かしさよ」「者共の虚偽粉飾されしブランド信仰、いや憑物を余が落として進ぜよう」と、ブランドの実名をケース内側の写真とともに大きく晒しあげ。
 諸君が気付いていない世界の真実の一端を拙が暴いてみせようぞ。我こそがメゾンを中核とするブランドマーケティングという名のゴリアテを打ち倒せしちからを有するもの也。そう法悦のきわみに浸るのかもしれないが。
 こうも思った。
 他の、実用というより宝飾品としての要素が強いブランドウォッチの多くは。例えば、いっときは一世を風靡したブルガリのトゥボガス・スネーク。たしかそのムーブメントも同種他社の時計と同じくクォーツ式だった筈だが。あのケースの中も瞬時に夢が覚めるような惨憺たる造りなのだろうか。それともブランドイメージをただの幻想で終わらせないだけの出来なのだろうか。
 腕時計を眺めながらそのように思いをめぐらす次第。

 蛇足というか、ちなみに下の写真は自前で購入した一番最初の、セイコーのクォーツ式腕時計のケースの中。さすがは精工舎というべきか、別段見て楽しいものでも見ほれるようなものでも無かったが、暗鬱たる気分にさせられるいけぞんざいなものでは無かった。

20150711