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iPad Pro礼賛

 何度も申し開いてきたよう、昔と比べ自身のキャパシティにおける「公」の部分が日に日に大きくなり、悪徳管財人やブラック企業の人事担当まがいの圧力で「私」を追い詰め締めあげ続ける現状において。
 そんな状況においても個人的な業余の部分は継続していけないものか。一縷の望みを抱き購入したのがApple PencilとiPad Pro。

 結果は期待をはるか超え、アップル教信者や林檎紅衛兵など揶揄されるアップル製品原理主義者に自分も改宗した、そう友人知人に皮肉をいわれても一向に構わない。そのくらいのものがiPad ProとApple Pencilには確かにありました。
 隙間なく敷き詰められた日常の中で綻ぶ塵芥のような時間を活用し、電子スクリーン上にお絵かきすることが出来る。実際の紙の上に鉛筆やスケッチペンを使って描く行為と寸分たがわぬ、とまではいかないもの、それを補ってあまりある電子ならではの利点も確かに。
 買ってよかった。

 仕事や家庭、家事育児。はては地域や親族間のしがらみなどに個人のパーソナルな趣味ごとなど、いともたやすく押し流される中。それでもモチベーションだけは揺らめく燭台の灯火の如くかろうじて残されていると信じる数年前のわたしのような方に向けても。

 確かあった筈のモチベーションが疲弊と経年劣化から、いつのまにか自身も気づかぬうちに変質し、諦念と幾何かの後悔が混じった澱のようなものだけがこびりついていた。
 ありがちの結果を迎えるその前に、騙されたと思って購入するだけの価値はApple PencilとiPad Proにはあるかと。

最新は最高か

 ソニー製ヘッドホンMDR-XB700のセルフリペアに挑戦し。同じ会社から発売されたプロダクトモデルの同グレードであっても、最新モデルは全てにおいて旧モデルより勝っている訳でも無いのでは、との茫洋とした感想を昨日記したが。
 夜をまたいであらため自室を見渡すと、たとえば趣味のアンティーク懐中時計に関しても。

 勿論いまでも少数の需要にこたえ「懐中時計」というアイテムは製造され続けているもの、にもかかわらずわざわざ出物を待ち続け百年以上前の骨董品を求めたのも。
 たとえ百年前のガラクタにせよ、ものによっては現在流通している工業製品よりも明らかに作りが良い。いや既存のボトムエンドどころかハイエンドモデルと比べても、百年前の製品が現行品と品質において引けを取らない。そんな事例もこの世界にはあることに。

 たとえばコスト面や生産性において。具体的に例えば、プロダクトモデルの製造ラインを同社他モデルと共有することで生産性の向上ひいては企業として健全化がみこまれ株主には良い顔ができるのかもしれないが。
 何度もの工程を重ねなければ形成できないなど加工の困難な部位や、旋盤加工や鋳造で製造されたのち人手による仕上げ作業が必要な部品は廃止され。替わって多少いや半分以上は普及モデルと部品が共通化され、見てくれの上っ面だけはグレードごとの差異が図られる。
 結果旗艦モデルならではの拘り。それは極めて些細なものなのかもしれないが、だが非常に重要な、ひょっとすれば人によってはそここそを「味」として評価するかもしれない要素が除除に無くなってゆく。味が薄まってゆくことにつながるのでは。

 蛇足としてもうひとつの趣味の自動車に焦点を移しても、マツダのNB型ロードスターを新車時に購入し、同車自体は順当にモデルチェンジを重ねているが。だからといって自前のNB型を手放し最新モデルに買い換える気には到底なれない。
 如何にも愛好家の方ならば実経験をもって頷いてくれるだろうが、NA型とNB型であればスタイリング上の違い程度で本質はさして変わらず。しかしNB以降のモデルは、着座位置後退に伴い運転者の感知するZ軸まわり回転モーメントなどモデルごと明確に変わったと感じる部分はある。とはいえ他社の類似製品に比べれば。

 初代ロードスター発表以降、似たようなコンセプトのものが他社から多数出たもの、それらの他社モデルは実際に運転してみると、プロムの送迎専用車であったり走行会番長だったりと本質は大きく違い、ロードスターとは似て非なるものと断言できるが。そのようなものに比べれば本質は変わっていない。しかしそれでも比較してみればモデルごとにはっきり変わったと感じる部分はある。

 その差異を進化や改良と受け取れないから。新しいものは全てにおいて素晴らしい、畳と女房にかぎらず全てのプロダクトモデルは最新のものこそが最高のモデルである、なんて思考を断断乎として実践してゆく未来主義者にはついぞなれなかったから。
 だからこそNB型を手放す気にもなれないし、自身でレストアしてまでXB700を所持し続ける。